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8月8・9日と、宮城県石巻市での、「東日本大震災復興支援プロジェクト 庭JAPAN」に、参加させていただきました
もうすぐ半年前となる、3・11、あの日から、
何が出来るのか、何をしたら良いのか、ずっとずっと考えていました。
いつも通りに流れる時間の中で、いつも通りに生活を送っている自分に、疑問を抱いていました。
そんな折…創都・清水さんにご紹介いただいた災害支援連絡会「庭人の輪」を通じて、「庭JAPAN」の存在を知りました。
そして7月16・17日に、愛知県一宮市「つくる。」にて開催された、
「第4回 全日本庭サミット『東日本大震災復興支援プロジェクト 庭JAPAN 活動報告とこれから』」に参加させていただき、
庭師の皆さまをはじめとする多くの方々とお話し、被災地の様子、活動の報告を聞きました。
「庭師だからこそできることがある」。それはもちろん、重機を使った作業や、スコップ・ネコ・一輪車などの作業といった普段の仕事が活かせる、そういったことはしかり。
m28eの古川さんがおっしゃってました「その地に木が植えられる、その時まで活動していきたい」。復興した庭、植物を見た被災地の方々は…笑顔だったそうです。
それはそれは、すごくアツい1晩でした。
「何ができるか分からない。でも、庭JAPANに参加したら何か分かるかもしれない。」 そう思いました。
震災から5ヶ月経った、石巻の様子です。
石巻
東松島市です。それでも…花は咲いてくるのですね。
大川小学校。周りは住宅地だったそうですが、周りには何もありませんでした。
カーナビで見ると分かりますが、ここは以前、陸地でした。津波以降、いまだに水が引いていないのです。
石巻専修大学です。
ボランティアセンターがあり、私たちがキャンプさせていただいた場所でもあります。
私が参加させて頂いた期間、N-tree長崎さん、m28e古川さん、Morvan Guenierさん、やまぎわ夢創園山際さん、オンサイト計画設計事務所高橋さん、アーティスト二村元子さん、バラクラ伊原木さんとご一緒させていただきました。いろいろな、とても濃い、お話をさせていただきました。
庭JAPANで、泥のかきだし・庭の復旧させていただいたお宅です。
ここは…。10月に国によって住めるか住めないか、決定が下るそうです。
もちろん、住民の方々は、住むつもりだから、復旧作業をしています。
「あんな大きな津波だったんだから、半年で元に戻るわけがない。2年3年かかると思っている。でも、2年3年経てばまた、元に戻るんだ」と。
同じ日本の中で、「日常」という同じ日本語の先にある現状は、まだまだ、違ったものでした。
正直、帰ってきてから余計にどうしたら良いのか分からなくなりました。
そう思っている間に、福島で大雨があったり、今回も台風12号が甚大な被害をもたらしたり…。
自然は、本当に脅威です。
庭JAPANに参加したときにもこういう話題が出ましたが、
庭を求める人は、癒しという観点・美という観点などから、庭という空間に「自然」を求めるものですが、それはあくまで操作可能な範囲での「自然」で。
「自然」に周囲ぐるっと囲まれてしまった瞬間に、人が感じるものは恐怖でしかない、と…。真昼間、誰もいない山中に居るだけでものすごく怖いものです。
自然は、脅威です。
けれども、津波で、陸地がヘドロで覆われた、石巻の方が、おっしゃってました。
ヘドロは「人間が生活を送りながら海へ流し続けたもの。それを海が、人間に返してきただけなのだ」、と。
農家の方や漁師さん…、私たち以上に自然と対峙して生きている方々の言葉です。
私は、何ができるかなんて、まったく分からなくなりました。そんなこと考えていたことすら申し訳なくなりました。
しかし、これからも庭JAPANさんの活動には参加していきたいと思います。
庭師ではないですが、庭に関わる者として、参加させて頂きたいです。
何が起こるか分からない日々の中で、1人でも多くの人とつながっていきたいです。
「その地に木が植えられる、その時まで活動していきたい」。
もう一つ、庭JAPANの大切なキーワードがあります…「できる人ができる時に、できることを」。
瓦礫の撤去率はまだまだ低いです。
ただ、現地に行かなくてもできることもあります。
目前で起こっている台風の問題もあります。
できる人ができる時にできることを、すれば良いと思います。
でも、同じ日本人だから(もちろん国外でも様々な問題がありますが)、
何が起こっているか知ること、何か動いてみること、もがいてみることは、意味があるのではないでしょうか。。