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春を届けるプロジェクト報告
2011.04.22
「庭人の輪」 より春を届けるプロジェクトの報告をいただきました。
↓↓
___________________________________________________________
春を届けるプロジェクトを通じて
3/26に長崎平和記念公園を出発した『春を届ける』プロジェクト。
途中の中継地、福山・岡山・大阪・愛知で庭師から庭師へと桜がリレーされました。
各地からほんとにたくさんの桜の枝・義援金・行動費・水などの物資が届けられました。
それには皆の笑顔や想い希望が託されていました。
3/30 今回の目的地東京にその桜と想いを飾りつける事ができました。
桜に託された心を感じ店主、通る人、近隣の店の人にも笑顔が溢れていました。
振り返ると、このプロジェクトは最初戸惑いともどかしさの塊でした。
庭師として、人として何かできる事は?
まだ行けない状況で届けられる物はカタチはタイミングは?
日常と非日常の受け入れ方もわからず、何が正しいかわかるはずもありません。
各地で意見をぶつけ合い喜び悩み苦しみました。
動こうとする者、立ち止まる者、止める者、様々な想いの形がありました。
でも各地でそんな迷い苦しむ仲間達を無条件に受け入れ温かく見守る仲間の仲間達やその周り
の人たちがいました、優しい心がありました。
桜の枝をリレーする中で自分達自身が勇気や希望やヒントをもらっていた。
その肌で感じた感覚を熱を桜の枝に託し伝え届ける事がこのプロジェクトを本当に意味のある
ものにするのだと気付きました。
目的地東京にも西日本とは違う様々な迷い苦しみがあったと思います。
でも何か伝えたい届けたいと思う優しい熱がたくさん集まっていました。
トラックから運び出す時、包みに書かれた地名を伝えながら手渡しし、本当に九州から繋がって
きたんだという事をかみ締めながら使わせてもらいました。
停電や自粛ムードで沈みがちだった東京。その中心でもある六本木の店を訪れる人たちにも桜の
持つ希望に溢れた春の優しい力を感じていただけたと思います。
食料、物資、お金、もちろん絶対必要なものです。
あと、そこに希望が無ければ動き出すサイクルは生まれないと思います。
今回多くの庭師たちと行動を共にしてみて強く感じたことがあります。
立ちはだかる壁や、大きく開いた溝、日々変わる状況を乗り越えようとする熱やエネルギーが半
端じゃないという事。
その熱やエネルギーは単に力が強いのではなく、とても優しく暖かかった。
庭創りで培ってきた物なのか、そうだから庭師の道を選んだのか・・・。
力を発する手法や時期が違えども、それが地域性だったり個性でそれぞれの役割があると思うの
です。
今回集まった合計22万3234円は私が代理で日本赤十字に義援金として送らせていただき
ます。
最後になりましたが、今回ご協力ご支援ご意見いただいた皆様、そして優しく勇気をくれて見守
ってくださった皆様本当にありがとうございます。
そしてこれからも日本が持つ四季の様に少しずつでもいい、優しく心を癒し希望が持てる庭師ら
しいお手伝いが長くできればと思っています。
2011年4月18日 清水亮史
今回のとてつもなく大きな震災、自分たちに何か出来ることはないかと歯がゆく思う。
何か出来るなんておこがましいことではあるがいらだつ日々が続く、そんな時西日本緊急支援連
絡会 庭人の輪に出会い賛同する
そして坂本君の考えに乗ることにした「春を届けるプロジェクト」今の段階で感じたことをここ
につづりたい。
わき上がるように生まれたこのプロジェクト、何とか被災地に力を出してほしい希望を持って
ほしいと言う思い、
しかし今がその時であろうか毎日悩み、土地土地の庭仲間と真剣に話し合う。土地による感覚の
温度差、一歩間違えればたくさんの人を傷つけてしまうことになる。それでもみんなの温かき思
いは一つだ、真っ直ぐに突き進むことにした。温度差があるからこそ出来ることがあるはずだと
信じて。
進み続けると見えない力で引き寄せられていく力があった。それは原子力、おれ達は原爆ドー
ムに引き寄せられ、そして長崎に運ばれた。原子力爆弾の爆心地から1.1キロメートルで被爆
を受けてしまった人、語りべの話しも自然の力で聞くことになった。押しつぶされるような気持
ちが空からふってきた、唯一の被爆国がなぜまたこの道を歩むのかくやしい、あまりにも悔しす
ぎる。何とも言い表せない思いで長崎平和祈念像の前に立つ。真剣に考えなければいけない課題
が日本人に与えられたのだと思う。
そしてそこ、平和祈念像の前から桜の枝を運び始めることにした。春のつぼみは凄い力をもっ
ている。西日本中から桜の枝を預かり進み続ける。あたたかく強い力がどんどんと集まってくる、
被災地に春を届けたい西日本のやさしく柔らかい思いだ。
その思いは大きく大きくなる、気がつくと凄い力になっている。凄すぎる。
もう一度言う、土地による温度差。そして思いは一つ。
思いが一つならみんなの力を合わせれば必ずうまくいくはずだ、みんなそれぞれの役割が面白い
ようにある。
無鉄砲な計画であったかもしれないが、たくさんの人のエネルギーと役で少しだけかもしれない
が東北に春が届けられたかもしれない。
そして何よりもこの道のりが大事であったと今、心の底から思う、深い絆ができあがった。
これからがスタートである。長い長い道の始まり。
被災地に春を届けるはずが結局どちらが元気づけられたのか分からない。
生きているのはすばらしいことである
塩野潤
春を届けるプロジェクトに賛同し、実行していただき
本当にありがとうございました。
自分が大切にしている言葉「冬は必ず春となる」
どんなにつらく、苦しくても前を見て生きて行けば
必ず幸せはやってくる。
東北の人達にとっては西日本の自分たち以上に
はるはまちどうしいものだと聞きました
なにも、さくらを届けて花見をして欲しかったわけではないとおもいます。
今年も西から春がやって来る必ず春はやってくるんだ。
それを伝えたい一心だったと思います。
そして、大勢の人の絆でその想いは繋がっていきました。
一人の力では出来ないことも同じ想い持った同志が集えば
すごい事ができると感じました。
被災された人達は自分達の想像も出来ない悲しみがあるだろう、
親を亡くした子供、子供を亡くした親
被災者の心に本当の春はまだまだやってきていないとも思う。
でも、必ず春はくる。
その希望、幸せの代名詞である「春」
僕は、まだまだ希望を送り続けたい。
2011.4.18
坂本拓也
↓↓
庭人の輪 賛同の方々へ
先日送らせていただいた
「春を届けるプロジェクトの報告」の第二弾です。
今回はこのプロジェクトの中心人物である
清水さん、塩野さん、坂本さんの三人が
プロジェクトを通じての感じたことを書いたもの。
先日送らせていただいた
「春を届けるプロジェクトの報告」の第二弾です。
今回はこのプロジェクトの中心人物である
清水さん、塩野さん、坂本さんの三人が
プロジェクトを通じての感じたことを書いたもの。
(添付:春を届けるプロジェクトを通じてPDF)
そして
東北の庭師の仲間の
宮城のよっちゃんの庭工房のよっちゃん
http://yocchannoniwa.blog121.fc2.com/
と
福島の創苑の新さん
http://blogs.yahoo.co.jp/shinbou1964
に
A2にプリントして
代表して受け取ってもらうパネルの原案(塩野さんの力作です)。
そして
東北の庭師の仲間の
宮城のよっちゃんの庭工房のよっちゃん
http://yocchannoniwa.blog121.fc2.com/
と
福島の創苑の新さん
http://blogs.yahoo.co.jp/shinbou1964
に
A2にプリントして
代表して受け取ってもらうパネルの原案(塩野さんの力作です)。
(添付:春を届けるプロジェクト パネルPDF)
を送らせていただきます。
*他にも被災地域である東北や関東の庭師で受け取っていただける、
ふさわしい方がいらっしゃったらメールください。
ふさわしい方がいらっしゃったらメールください。
お時間あるときにゆっくりご覧になっていただきたいです。
今回のプロジェクトにご支援ご協力ご意見くださり本当にありがとうございました。
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春を届けるプロジェクトを通じて
3/26に長崎平和記念公園を出発した『春を届ける』プロジェクト。
途中の中継地、福山・岡山・大阪・愛知で庭師から庭師へと桜がリレーされました。
各地からほんとにたくさんの桜の枝・義援金・行動費・水などの物資が届けられました。
それには皆の笑顔や想い希望が託されていました。
3/30 今回の目的地東京にその桜と想いを飾りつける事ができました。
桜に託された心を感じ店主、通る人、近隣の店の人にも笑顔が溢れていました。
振り返ると、このプロジェクトは最初戸惑いともどかしさの塊でした。
庭師として、人として何かできる事は?
まだ行けない状況で届けられる物はカタチはタイミングは?
日常と非日常の受け入れ方もわからず、何が正しいかわかるはずもありません。
各地で意見をぶつけ合い喜び悩み苦しみました。
動こうとする者、立ち止まる者、止める者、様々な想いの形がありました。
でも各地でそんな迷い苦しむ仲間達を無条件に受け入れ温かく見守る仲間の仲間達やその周り
の人たちがいました、優しい心がありました。
桜の枝をリレーする中で自分達自身が勇気や希望やヒントをもらっていた。
その肌で感じた感覚を熱を桜の枝に託し伝え届ける事がこのプロジェクトを本当に意味のある
ものにするのだと気付きました。
目的地東京にも西日本とは違う様々な迷い苦しみがあったと思います。
でも何か伝えたい届けたいと思う優しい熱がたくさん集まっていました。
トラックから運び出す時、包みに書かれた地名を伝えながら手渡しし、本当に九州から繋がって
きたんだという事をかみ締めながら使わせてもらいました。
停電や自粛ムードで沈みがちだった東京。その中心でもある六本木の店を訪れる人たちにも桜の
持つ希望に溢れた春の優しい力を感じていただけたと思います。
食料、物資、お金、もちろん絶対必要なものです。
あと、そこに希望が無ければ動き出すサイクルは生まれないと思います。
今回多くの庭師たちと行動を共にしてみて強く感じたことがあります。
立ちはだかる壁や、大きく開いた溝、日々変わる状況を乗り越えようとする熱やエネルギーが半
端じゃないという事。
その熱やエネルギーは単に力が強いのではなく、とても優しく暖かかった。
庭創りで培ってきた物なのか、そうだから庭師の道を選んだのか・・・。
力を発する手法や時期が違えども、それが地域性だったり個性でそれぞれの役割があると思うの
です。
今回集まった合計22万3234円は私が代理で日本赤十字に義援金として送らせていただき
ます。
最後になりましたが、今回ご協力ご支援ご意見いただいた皆様、そして優しく勇気をくれて見守
ってくださった皆様本当にありがとうございます。
そしてこれからも日本が持つ四季の様に少しずつでもいい、優しく心を癒し希望が持てる庭師ら
しいお手伝いが長くできればと思っています。
2011年4月18日 清水亮史
今回のとてつもなく大きな震災、自分たちに何か出来ることはないかと歯がゆく思う。
何か出来るなんておこがましいことではあるがいらだつ日々が続く、そんな時西日本緊急支援連
絡会 庭人の輪に出会い賛同する
そして坂本君の考えに乗ることにした「春を届けるプロジェクト」今の段階で感じたことをここ
につづりたい。
わき上がるように生まれたこのプロジェクト、何とか被災地に力を出してほしい希望を持って
ほしいと言う思い、
しかし今がその時であろうか毎日悩み、土地土地の庭仲間と真剣に話し合う。土地による感覚の
温度差、一歩間違えればたくさんの人を傷つけてしまうことになる。それでもみんなの温かき思
いは一つだ、真っ直ぐに突き進むことにした。温度差があるからこそ出来ることがあるはずだと
信じて。
進み続けると見えない力で引き寄せられていく力があった。それは原子力、おれ達は原爆ドー
ムに引き寄せられ、そして長崎に運ばれた。原子力爆弾の爆心地から1.1キロメートルで被爆
を受けてしまった人、語りべの話しも自然の力で聞くことになった。押しつぶされるような気持
ちが空からふってきた、唯一の被爆国がなぜまたこの道を歩むのかくやしい、あまりにも悔しす
ぎる。何とも言い表せない思いで長崎平和祈念像の前に立つ。真剣に考えなければいけない課題
が日本人に与えられたのだと思う。
そしてそこ、平和祈念像の前から桜の枝を運び始めることにした。春のつぼみは凄い力をもっ
ている。西日本中から桜の枝を預かり進み続ける。あたたかく強い力がどんどんと集まってくる、
被災地に春を届けたい西日本のやさしく柔らかい思いだ。
その思いは大きく大きくなる、気がつくと凄い力になっている。凄すぎる。
もう一度言う、土地による温度差。そして思いは一つ。
思いが一つならみんなの力を合わせれば必ずうまくいくはずだ、みんなそれぞれの役割が面白い
ようにある。
無鉄砲な計画であったかもしれないが、たくさんの人のエネルギーと役で少しだけかもしれない
が東北に春が届けられたかもしれない。
そして何よりもこの道のりが大事であったと今、心の底から思う、深い絆ができあがった。
これからがスタートである。長い長い道の始まり。
被災地に春を届けるはずが結局どちらが元気づけられたのか分からない。
生きているのはすばらしいことである
塩野潤
春を届けるプロジェクトに賛同し、実行していただき
本当にありがとうございました。
自分が大切にしている言葉「冬は必ず春となる」
どんなにつらく、苦しくても前を見て生きて行けば
必ず幸せはやってくる。
東北の人達にとっては西日本の自分たち以上に
はるはまちどうしいものだと聞きました
なにも、さくらを届けて花見をして欲しかったわけではないとおもいます。
今年も西から春がやって来る必ず春はやってくるんだ。
それを伝えたい一心だったと思います。
そして、大勢の人の絆でその想いは繋がっていきました。
一人の力では出来ないことも同じ想い持った同志が集えば
すごい事ができると感じました。
被災された人達は自分達の想像も出来ない悲しみがあるだろう、
親を亡くした子供、子供を亡くした親
被災者の心に本当の春はまだまだやってきていないとも思う。
でも、必ず春はくる。
その希望、幸せの代名詞である「春」
僕は、まだまだ希望を送り続けたい。
2011.4.18
坂本拓也
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