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2025.01.18
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東日本大震災復興支援プロジェクト 「庭JAPAN」 支援させていただいた方のお話し
2011.09.02
愛知県、m28eの岩間です。
先日、石巻市渡波の I さんに電話しました。
第七期で茶庭の復旧をさせていただいたお茶の先生です。
私の言葉になってしまいますが、
I さんのお話しをお伝えします。
庭JAPANの者ですとお伝えしたところ
本当にこんなに綺麗にしていただいて、本当にありがとうございました。
と何度も何度も言って下さいました。
言葉では言い尽くせないから、
少しでも長く庭で時間を過ごすことにしてらっしゃるそうです。
どれだけ居ても飽きることがないそうです。
クモの巣がよくかかるから、と毎朝木の枝をきれいに払って
お客さんが来る時には手水鉢に水を入れて。
来る人来る人に庭を見てもらって
何が起きて、どうやって庭がきれいになったか、話してらっしゃいます。
みんな茶色くなってしまって
これからどうしたらいいんだろうと思っていたところで来てもらえて
茶色い中でも生かせる木があって・・・
砂利をひいて足元が綺麗になるとこんなにも違うんだと思ったり、
と本当に関心してらっしゃいました。
暑い中、動きにくい庭で作業してくれたと
気遣ってらっしゃいました。
庭JAPANの人、作業した方だけではなくて誰でも、
近くに来たときは電話してもらえればいつでも待っています。
庭をお見せします。と言って下さっています。
最後に、みなさん健康に気をつけて、
よろしくお伝えくださいということでした。
庭JAPANに関わる一人として、本当にうれしいお話でした。
大切にしていきたいと思います。
先日、石巻市渡波の I さんに電話しました。
第七期で茶庭の復旧をさせていただいたお茶の先生です。
私の言葉になってしまいますが、
I さんのお話しをお伝えします。
庭JAPANの者ですとお伝えしたところ
本当にこんなに綺麗にしていただいて、本当にありがとうございました。
と何度も何度も言って下さいました。
言葉では言い尽くせないから、
少しでも長く庭で時間を過ごすことにしてらっしゃるそうです。
どれだけ居ても飽きることがないそうです。
クモの巣がよくかかるから、と毎朝木の枝をきれいに払って
お客さんが来る時には手水鉢に水を入れて。
来る人来る人に庭を見てもらって
何が起きて、どうやって庭がきれいになったか、話してらっしゃいます。
みんな茶色くなってしまって
これからどうしたらいいんだろうと思っていたところで来てもらえて
茶色い中でも生かせる木があって・・・
砂利をひいて足元が綺麗になるとこんなにも違うんだと思ったり、
と本当に関心してらっしゃいました。
暑い中、動きにくい庭で作業してくれたと
気遣ってらっしゃいました。
庭JAPANの人、作業した方だけではなくて誰でも、
近くに来たときは電話してもらえればいつでも待っています。
庭をお見せします。と言って下さっています。
最後に、みなさん健康に気をつけて、
よろしくお伝えくださいということでした。
庭JAPANに関わる一人として、本当にうれしいお話でした。
大切にしていきたいと思います。
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m28eの古川さんより
2011.08.30
N-treeの朝日です。
m28eの古川さんから第2フェーズが始まる前に庭人の輪の報告書に載せた文章を頂いたので、ブログに載せたいと思います。
そこにはゼロ以下になった人の生活があった。
破壊され、流され、記憶はガレキとなっていた。
海はヒトが営みとして流し続けたモノをヘドロとして返してきた。
生きている植物、死んでいる植物。
なぎ倒された木、なぎ倒されても生きている木があった。
現地のヒトたちの顔は見たことのない笑顔で彩られていた。
前、一点に向かって進む人の顔なのだろう。
そのヒトたちの瞳はうるんでいた。
津波の話をする時そのヒトたちの視線は
自分たちの体を貫きはるかかなたを見つめていた。
約1ヶ月半の長期にわたる活動に
いろんな業種のたくさんの方々に参加いただいた。
それぞれがそれぞれの感覚を現地で持ち、活動し、
現在それぞれのフィールドにもどり
決してなくならない感覚の中で
自分のするべき行動の最中にいることでしょう。
庭JAPANは
「その地に木が植えられる」その時まで
活動していきたいと考えています。
愛知県 古川乾提
前回の石巻の様子では、緊急の支援はひととおり区切りがついたように感じたメンバーもいました。
まだ手がつけられておらず、瓦礫がそのままの場所もあるのですが、
ひとつの問題として、そこに今後住めるかどうか方針が決まっていないために、今瓦礫を撤去するべきかどうかボランティアセンター側も迷っているという現実があります。
そこに住んでいた方も住めるかどうか分からない状態で、どこまで頼んでいいのか、どこまで綺麗にしたらいいのか、という複雑な思いが見えたりしました。
ですが、そこに今後住める住めないに関わらず、今まで生活していた家が綺麗になっていく様子を見て、
またここに住めるかもしれない、と希望を持って元気を出してくださった方もいました。
何が正しいかという話は、現地ではあまり重要ではないのかもしれないとも思います。
人それぞれに状況が違って、想いも違って、その中で庭JAPANができることが少しでもなにか支えになってくれたらと思います。
「その地に木が植えられる」その時まで活動していきたい、
というコンセプトは庭JAPANの報告会の中でも話に挙がりました。
今後はどのような支援ができるのか、しばらく様子を見ることになるかもしれませんが、長くゆっくりと木が生長するように、この支援活動も細くとも長く続けていけたらと思います。
m28eの古川さんから第2フェーズが始まる前に庭人の輪の報告書に載せた文章を頂いたので、ブログに載せたいと思います。
そこにはゼロ以下になった人の生活があった。
破壊され、流され、記憶はガレキとなっていた。
海はヒトが営みとして流し続けたモノをヘドロとして返してきた。
生きている植物、死んでいる植物。
なぎ倒された木、なぎ倒されても生きている木があった。
現地のヒトたちの顔は見たことのない笑顔で彩られていた。
前、一点に向かって進む人の顔なのだろう。
そのヒトたちの瞳はうるんでいた。
津波の話をする時そのヒトたちの視線は
自分たちの体を貫きはるかかなたを見つめていた。
約1ヶ月半の長期にわたる活動に
いろんな業種のたくさんの方々に参加いただいた。
それぞれがそれぞれの感覚を現地で持ち、活動し、
現在それぞれのフィールドにもどり
決してなくならない感覚の中で
自分のするべき行動の最中にいることでしょう。
庭JAPANは
「その地に木が植えられる」その時まで
活動していきたいと考えています。
愛知県 古川乾提
前回の石巻の様子では、緊急の支援はひととおり区切りがついたように感じたメンバーもいました。
まだ手がつけられておらず、瓦礫がそのままの場所もあるのですが、
ひとつの問題として、そこに今後住めるかどうか方針が決まっていないために、今瓦礫を撤去するべきかどうかボランティアセンター側も迷っているという現実があります。
そこに住んでいた方も住めるかどうか分からない状態で、どこまで頼んでいいのか、どこまで綺麗にしたらいいのか、という複雑な思いが見えたりしました。
ですが、そこに今後住める住めないに関わらず、今まで生活していた家が綺麗になっていく様子を見て、
またここに住めるかもしれない、と希望を持って元気を出してくださった方もいました。
何が正しいかという話は、現地ではあまり重要ではないのかもしれないとも思います。
人それぞれに状況が違って、想いも違って、その中で庭JAPANができることが少しでもなにか支えになってくれたらと思います。
「その地に木が植えられる」その時まで活動していきたい、
というコンセプトは庭JAPANの報告会の中でも話に挙がりました。
今後はどのような支援ができるのか、しばらく様子を見ることになるかもしれませんが、長くゆっくりと木が生長するように、この支援活動も細くとも長く続けていけたらと思います。
第七期: 現地からの写真 06
2011.08.15
第七期: 現地からの写真 05
2011.08.15
第七期: 現地からの写真 04
2011.08.15
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